子どもがいると絶対に見るであろうコンテンツのアンパンマン。
最初は私も一児の親として、子どもと一緒にアンパンマンを見ていました。
いつの間にやら子供より自分が一生懸命見てしまうこともしばしば。
うちの息子は言葉が遅いため、近所のママさんが「アンパンマンを見せると言葉を覚えるのが早くなる」といっていたこともあり、すぐにアンパンマンのためにhuluを契約してしまったのですが、アンパンマンを見初めて二日目ほどで息子が「アンパンマン!」と言い出したのでした。
2歳をすぎた今でもママと呼んでくれないのにアンパンマンと呼べるのはこれはいったい・・・
そんな幼児に魅力的すぎるアンパンマンを作ったやなせたかしさんはどんな人だろうと息子とアンパンマンを楽しんでいるうちに興味を持ちました。
やなせたかしさんの生い立ち
やなせさんは、1919年2月6日生まれ、お父様は5歳の頃病死されたため弟さんは伯父さんの養子となり、7歳の時にお母様が再婚されたのを機にやなせさん自身も伯父夫婦に引き取られました。
先に養子となった弟さんとまわりの人に比較され
「お兄さんはお父さん似でおとなしいが、器量が悪い。弟さんはお母さん似でハンサムだ」
と言われさみしい思いもしたそうです。
しかしそんな中でも、心のよりどこがあり、それは絵が好きということでした。
小さなころから絵本を見ているか、紙とクレヨンで何か描いていれば何時間でも一人で遊んでいられるような子だったそうです。
そのため、その才能を活かすため工芸学校の図案科へ入りましたが、もっと上手な人がごろごろいて、漫画家になってからも同じで何度も自信を失ったそうです。
でも好きだという気持ちがあれば、コツコツ努力することもつらくはないと楽しみながら好きなことを続けられました。
筆者も幼い頃絵を描くことが好きで、絵を描く仕事につきましたが、やはり自分より上手い人がごろごろいて自信をなくしたことがあり非常に共感できる内容でした。
しかしやなせさんの言う通り、好きなことであれば続けられるという気持ちも理解できます。
やなせさんが69歳のときアンパンマンがアニメ化
やなせさんがアンパンマンを書き始めたのは50歳、アンパンマンがアニメ化したのはなんと69歳のときでした。
かなり遅咲きだったのですね。
今ではアンパンマンは皆が知っていて幼児のヒーローであり、親にとっても子に安心して見せられるコンテンツであり、やなせさんはとても偉大な人だと思いますが、ご本人の言葉はこれまでの苦労を感じられるような言葉も多くありました。
以下はやなせさんの本の引用です。
”お金持ちになれる正しい原則は良心的なおもしろい仕事をすることです。”
もうひとつのアンパンマン物語
”いろんな仕事をしてきたが、どの仕事でも、仕事の中に精神的な毒を入れることは決してしなかった。
教訓的なことはあまり好きではない。話はできるだけおもしろいほうがいい。だが、いくらおもしろくするためでも「毒」は入れない。本や音楽は精神の栄養であり、体を流れる血になると思うからだ。
とくに、子どもが見る絵本はそれが絶対条件と言ってよいと思う。
収入の少ないときも、この考え方は曲げなかった。そして、いつも自分の好きなこと、自分が描きたいものだけを描いてきた。
「良質な作品では読者がつかない」と言う人がいるが、間違いだ。読者がつかない原因は、ただおもしろくないからである。”
やなせたかし 明日をひらく言葉
”今は、バイオレンスやポルノなどが多すぎる。
人の心の奥底には悪を喜ぶ気持ちも潜んでいるから、作者はつい暴力的なものや色っぽいものに頼りたくなるのだろう。
だが、プロフェッショナルならそうした手法を使わずに、読者におもしろがってもらえるものをつくらなければいけない”
やなせたかし 明日をひらく言葉
上記のようにやなせさんは考えていたため、私たちは子供に安心してアンパンマンを見せることができているのですね。
アンパンマンの誕生
戦争の経験があるやなせさんは、戦時の飢えが一番つらかったという経験があったため、アンパンマンが誕生しました。
”悪人を倒すことよりも、弱い人を助ける。ぼくが望む正義はそれほど難しいことではないのです”
人生の歩き方
アンパンマンが生まれた日の動画が公式チャンネルで見ることができます。
生まれたばかりのアンパンマンを可愛がるジャムおじさんとバタ子さんのシーンは可愛らしくほっこりします。
また、小さいころのバイキンマンも出てきてとっても可愛いです!
アンパンマンが生まれるルーツや、やなせさんのしてきた大きな仕事たち。遅咲きといわれようと、様々な仕事をされてきて、それが点となり、アンパンマンへ繋がっていったのだと思います。
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